[henyohenyo]

ようこそ「へにょへにょ」へ。海辺の街でWebクリエイターやりながら、オットと猫とのんびり暮らしている[りこ]のなんということのない日常をつづったブログです。成分は、きものと猫と宴会とASKAと仕事。

昨日の話です。

誕生日だというのに、仕事。原宿にあるスクールで講師です。
寒いし雨模様だし、まだまだ涙が涸れない日々を過ごしているのに人前で7時間もちゃんとしゃべれるのか不安だし...。こんなに冴えない誕生日はこれまで無かったなぁ、なんて思っておりましたが。

講義終了後、スクールのスタッフの方から「打ち合わせがあるから」と引き留められて待っていたら、いきなり照明が暗くなりローソクが立ったケーキが運び込まれてきました。

一瞬で涙腺決壊(笑)。

生きてると悲しいこともあるけど、嬉しいこともちゃんと用意されてるんだなぁ、と思った。友達からのおめでとうメールもとっても嬉しかったし、支えられてますね、私。
38年前に苦しい思いをして生んでくれた母にも、あらためて感謝。ありがとう。

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朝、不安を抱えながら原宿に向かう電車の中。Willcomがフリーズしたのでリセットボタンを押すために電池蓋を開けたところ、電池の上にふくの毛が!!
ふく〜、ありがとう。かーちゃんはがんばるよ。

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いただいたメールアドレスにお返事したらエラーが返ってきてしまったのでこちらに書きます。見てもらえるといいのですが...。

メールありがとうございました。
面識の無い方までもが気にかけてくださったことを、心からうれしく思っています。またひとつ励ましをいただいた気がします。

ハルさんも昨年猫ちゃんを失われたのですね。それも2匹も...さぞおつらかったことでしょう。
もうだいぶお元気になられたのでしょうか?

私はこれまで「死」というものについてきちんと考えたことが無く、今回の件で初めて向き合いました。
悲しくてつらい毎日ですが、なんとか自分なりに整理して受け止めたいと思っています。ほんの数日の間とはいえ、とてもたくさんのことを学んでいる実感があります。

こうして考えてみると、黒猫のふくちゃんからは教わることばかりです。自分はただやんちゃな子供猫のお世話をしているだけだと思っていましたが、気づかない間にいろんなものをもらっていたのですね。

「虹の橋」は、とてもいいお話ですよね。
私は欲張りなので、遠くにある虹の橋ではなく、すぐそばにいてほしいと願ってしまいます。姿が見えないだけで、今もすぐそばにいるのだと信じています。
でもたぶん、どちらも同じことなんですよね。遠くにいるけど、これ以上ないほど近くにいる。

私も、絶対にまた会えると確信しています。お互い、その日を楽しみにして精一杯生きましょう。
最近気温の変化が激しいので、お体を大切にしてくださいね。

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毎年恒例、苦痛の行事である確定申告がようやく終りました。今回は丸3日かかった!

毎回「今年こそ毎月きちんと帳簿をつけよう」と誓うのですが、実践したためしがなく...。でも今年は絶対にやります。やりますとも。

...が、万一やらなかったときのための自分メモ。申告ソフトへの入力手順をすぐ忘れちゃうんだ。

  1. 売り掛けを入力する
  2. 通帳の内容を入力する(売掛金の回収は振替伝票を使って源泉徴収分なども記入)
  3. カード決済した分の経費を入力する(毎月のカードの引き落とし金額を、経費を差し引いた額に変更する)
  4. 現金で支払った経費を入力する
  5. 最後、電子申告に必要なパスワードなどは自分のマシン内にhtmlファイルで格納されているので慌てず探すこと

いや、今年は毎月きちんとやるけどね。

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ふくちゃんの事故から1週間が過ぎました。

まだ毎日泣いてますが、日に日に前向きになってきてます。しばらくはあんまりテンション高くないと思うけど、家族や友達にこれ以上心配をかけないよう、できるだけ元気にがんばります!

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今日も少しだけしか泣かずにすみました。みなさんの温かいお心遣いのおかげです。ありがとうございます。

だんだんと、自分の気持ちをコントロールできるようになってきました。
もちろん今でも、悲しい方に目を向けさえすればいつまでだって大声で泣けます。大きすぎる喪失感は、まだまだふさがることはないでしょう。
だからこそ、あえてそちらに目を向けずに過ごす努力を始めることにします。

昨日購入した本が手元に届きました。「サイモントン療法」という、がんの治療に用いられるイメージ療法についての本です。一見ペットロスとは関係ないようなのですが、自分の感情をコントロールすることでいかに幸せに生きるか、ということがテーマになっているので今の自分に合っているかなと。

先ほど読み終えましたが、とても救いになった気がしています。

本書を通して感じたのは、まず一番大切なのはネガティブな(不健全な)感情をいつまでもほじくり返していてはいけない、ということ。そんなことは誰も望んでない。だれも幸せにならない。自分も、家族も、友人も、もちろんふくちゃんも。

それからこの本では、ほんの少しですが亡くなった方との魂の交流についてのエピソード(オカルト的ではない)が書かれています。それを読むと、先日の小さな黒いクモはやはりふくちゃんだったと信じられるし、これからもいつでも遊びに来てくれると思えるようになってきました。
だから今日は、長らく気になっていた私の部屋の古くて暗い雰囲気の家具を廃棄してみました。陽気なふくちゃんがしょっちゅう遊びに来たくなるような場所を作っておきたくて。おかげで部屋が明るくなり、私も久々に体を動かすことができました。

興味のある方は是非この本を手にとって読んでみていただきたいのですが、最後に、私が特に感銘を受けた一文を(ペットロスの人用にごく一部だけ形を変えて)引用したいと思います。

生物の、生まれてから死を迎えるまでの目的は、唯一、「幸福を経験する」ということです。

自然界や宇宙は、死も含め、何ひとつとして無駄なことや意味のないことはない、と信頼しましょう。

私たちはふくちゃんからたくさんの幸福をもらい、ふくちゃんにも幸福を経験させてあげたと信じています。
そして、彼の生涯は短かったけど、残された私たちにとってとてつもなく大きな意味があった。
だから、ふくちゃんは全然「かわいそう」じゃないんだ。

それでも、もう泣かないなんて言えません。というか、絶対泣きます。
どんなにがんばっても寂しいものは寂しいですから。でも、それはそれでいいと思ってます。体と心の健康を損なわない程度に心ゆくまで泣いたら、きっと自分の中のふくちゃんを連れて前に一歩踏み出せると信じています。

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今日は、今のところ一度しか大泣きしてません。
大泣きの理由は、やはり寂しさもありますが、友達からのメッセージがうれしくて泣いたのでした。久しぶりに、悲しさ100%じゃない涙が出ました。

私には素晴らしい家族と友達がいる。
まるであたりまえのように思っていたことが全然あたりまえじゃないと、改めて気づかされる毎日です。
いつまでもメソメソしてちゃいけないな。

今は、自分が心から納得できて少しでも幸せになれるような死生観を身につけたいと思っています。
今のところ、このページに書いてあることが一番すんなり心に落ちてきたので紹介します。
http://sourumeito.sakura.ne.jp/R18.htm
これとは全然違うアプローチで書かれた書籍も1冊購入してみました。明日届くと思うので、良かったら紹介します。

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今日ちょっとだけ元気なのは、実は理由があります。

昨日の夜、夕食後にリビングでぼんやりしてたら目の端に動くものが。
何気なく目をやると、そこには小さな黒いクモがいたのでした。私が気づくと同時にカズオさんも気づいて、ふたりでじーっと眺めていると、そのクモ、どう見ても遊んでるの。私の電子ピアノの楽譜立てから糸を出して10cmほど降りてきたと思ったら、上につーっと昇る。また降りてきたと思ったら昇って。3、4回やってから、その場に止まってこちらをじっと見てました。
思わずカズオさんと顔を見合わせて「あれはふくだね!」と笑ってしまいました。

私、別にオカルトとかスピリチュアルに興味は無いけど、誰がなんと言おうと、あれはふくちゃんだと確信しました。イキモノの殻を脱いで自由になったふくちゃんは、きっとこれからもクモや風や何かの動物になって、時々私たちに会いに来てくれるはずだと。だから寂しくない。寂しいと思うのは(できるだけ)止めようと心から思えました。

ちなみにそのクモは、その後ちょっとしたらどこかに消えてました。

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さて、私はこのうっとおしいブログを、もしかしたらいつか私と同じ状況で苦しんでいる人が見てくれるかもしれないと思って書いてます。だから、これも参考になるかもしれないから書くのですが、私は、ふくちゃんの最期の姿を思い出すと感情が乱れてどうしようもなくなります。呼吸がおかしくなってパニックを起こしそうになります。あの光景は、たぶん一生私の脳裏から消えることは無いでしょう。

事故死であれ病死であれ、愛したものの最期の姿はおそらくそんなに美しいものではありません。亡くなる直前の様子など、何度思い出しても胸が張り裂けそうになると思います。

だけど、その記憶だけは無理してでも封印すべきだと思う。
そんなのは彼らの本来の姿じゃないし、かわいそうな姿を何度もかみしめるのは彼らに失礼だと思うから。

私はふくちゃんの魂を自分の中に入れて、これから一緒に生きていくつもりです。
考えてみれば、すでに亡くなった私の祖父たちも同じなのです。私の中にいて、私の一部になってくれている気がしています。おじいちゃんたちは私が子供の頃に亡くなっていたり、実感が沸かない状況で亡くなってしまったこともあって特に強く意識したわけではありませんが、いつの間にかそういう感覚になっていました。

ふくちゃんが私の心の中に「居る」のなら、私が考えたり感じたことが伝わってしまうかもしれない。
それなら自分の最期の姿なんて何度も見せたくない。
そんなの、あまりにかわいそうじゃないですか。

だから、もし私と同じように最期の姿がフラッシュバックしてその都度苦しんでいる人がいるなら、記憶がよみがえりそうになった瞬間に無理やりねじふせて追い払ってほしい。
思い出しているのは自分自身です。がんばって自分で追い払おう。

私は、これだけでもずいぶんと楽になりました。ホントだよ。

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