ひょんなことから、小学校の卒業アルバムを開きました。
そこに載っていた自分の文章がおもしろいので公開。お題は「将来について」。
基本的にはアホ全開でへたくそな作文なんだけど、最後の最後にビックリさせられましたよ。
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「?年後の私」
私はようち園に保育園、小学校の先生になりたいような気がする。だって勝田先生も、楽しそうにやっているし子供といっしょに遊ぶのも、一ぺんやってみたいからだ。ようち園も楽しそう。結局先生がいいのかな。
でも、きっさ店も開きたい。そりゃあお金がかかるけど、小さいころに、「きっさ店はいつでもジュースが飲める」と思っていたので、そのゆめがかなれ(原文ママ)ばいい。
それからかわいいサンリオショップ。開いてみたらいいだろう。一年のとき友だちの家が店だったから、たん生日の時なんか、プレゼントにも困らなかった。私もサンリオショップ、持てたら持ってみたい。お店を持つのもいいかもしれない。
けれどそうでもない。ふつうの生活でもいい。そして家をかっこよくすればどうかと思う。一つの部屋はきれいな白い家具で決めて、ある部屋は、ちょっとしぶめに茶色で決める。お台所は明るくする。それもとってもいいと思う。それならふつうの生活がいいのかもしれない。
でもパソコンをあつかう人もいい。保母さんもいい。店もいい。とにかく将来のことなんて分からない。なりたい物はいっぱいある。だからもしかしたら会社の社長になっているかもしれない。
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ビックリしたのは最後ね。
25年前に「パソコンをあつかう」仕事を将来の選択肢に入れてる小学生って、かなーりかなーり少数派だと思う。何も考えず、流れに乗ってぼんやりここまで来たと思っていたけど、意外とそうでもないのかもしれないなぁ。
そして思い出す。あのころの自分にとって「仕事をしない生活」=「ふつうの生活」だったんだよなぁ。
なにを隠そうワタクシ、かなり大きくなるまで(というか大人になってからしばらくの間も)、母と同じ専業主婦になるのが当然と思っていたのよね。どこでどう間違ったのか(笑)。
...そうそう、今日この作文を読んで、これを書いたときの心情をリアルに思い出しました!
私と妹を育てるために、「仕事をしたい」という夢をさておき家中の一切をやってくれていた母に対する子供なりの気遣い。うん、あった。あったなぁ。しみじみ。