ふくちゃん命日
早いもので、あれから1年。
あの日も、2月にしては暖かかったなあ。
ふくちゃんが事故で死んでから、自分の死生観が変わったと認めざるを得ない。
生まれて初めて、生きること、死ぬこと、逝くこと、残されること、いろんなことを考えまくりました。
自分の心や感覚にまっすぐ向きあおうとすると、科学で解き明かされている事象だけでは納得いかないこともあるし、実際のところこの世界は科学で説明できないことの方が多いのではないかと思う。
そんなこんなで考えて考えて、まだ答えは出ていないけれど、ほんの少しずつまとまりかけている気はしてます。
我ながらあやしげでウソくさいので、細かいことは書かないけど。
ひとまず言えることは、私は自分の命が続く限りまわりの人たちを愛して、まわりの人たちから愛されるように生きていきたいということ。
以前は自分の八方美人的な性格を嫌だと感じることもあったんだけど、これはもう自分の宿命だと思って肯定する。自分の肉体が活動をとめたとき、愛情のかたまりを抱えて「もとの場所」に還れるような、そんな生き方を目指すつもり。
この考えが生まれたのは、ふくちゃんがまさに「愛し愛され」な子だったから。
もっと長く生きていれば猫なりにヨコシマな感情を持つことにもなったんだろうけど、子供のふくちゃんの中には私たち人間への信頼や愛情、それから先輩ねこちゃんへの畏敬しか存在していなかった。たぶん。
そして、彼の魂のそういう美しさは光のような形で永遠に残るだろうと感じている。
かずおさんも私も、ふくちゃんはすでに生まれ変わって(という表現が正しいかわからないけど)この世のどこかにいるんじゃないかとふんでます。
今度はたくさん生きて、ヨコシマなこと考えて、おいしいものたくさん食べて、楽しいことも嫌なこともいっぱい経験して、思い切り愛し愛される生涯を送ってほしいと願ってます。
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コメント(4)
すかばか|2011年2月25日 12:01
早いものでもう一年ですか。。
ふくちゃんにはあった事が無いのに,
猫ちゃんモチーフのものを見ると,
ふくちゃんとりこさんを、思いだしたりしていました。
残されたものにとっては,
一年では消化しきれない感情があるかと思いますが,
きっとふくちゃんに届いている事と思います!
りこ|2011年2月25日 12:16
すかちゃん、ありがとうー。
そうね、一年ではとてもとても...。でも残された者は幸せに生きるのが正しいと思うので、できるだけ悲しくならないようにしてます!
いなくなってしまったふくちゃんのことを、まったく関係ない生活の中で一瞬でも考えてくれる人がいるのは嬉しいな。
ホントにホントにありがとう!
まかりん|2011年3月 2日 00:01
もう一年経つんだもんね。
りこちゃんのブログで去年泣いて、今もまた鼻グスグスいわせながら記事を読んでいるから、横にいる連れあいに不審がられています。
ふくちゃんの美しい魂を感じながら、私たちはヨコシマな人生を楽しんで生きていきたいね。
りこ|2011年3月 2日 19:50
>まかりんちゃん
コメントありがとう。
まかりんちゃんがくれた黒猫のガーデンオーナメント(っていうのかな?)、リビングの植木鉢に大事に飾ってあります。コースターも、生前のふくの定位置にいるよ!
ほんとにほんとにありがとう。
私もまかりんちゃんのブログで何度泣かされたことか(笑)。泣き虫仲間!やーね!!